老後も田舎で暮らす

思いついたことをつらつらと

みんなが反対する人は地雷。しかし、それでもやめられないのが恋のマジック。

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自分が結婚したい人と結婚してなにが悪いだろうと個人的には思う。幸せであるのも不幸であるのも結婚した当事者だ。
上手くいくも失敗するにしろやってみない事にはわからない。
割れ鍋に綴じ蓋というではないか。
案外、上手くいって幸せが続くかもしれないし。
だめなら我慢せずに離婚したらいい。結婚して夫婦になっても、所詮は他人である。
 
ただ、まわりが口を揃えて反対する人は地雷の可能性高い。
恋に盲目になって、あばたもエクボに見える人とは違って、冷静な目で眺める第三者にはあばたはあばたにしか見えない。
お互いが折り合って生活できればいいけれど、誰かと一緒に暮らすだけでもストレスなのに、恋愛フィルターがなくなった日常という生活にあばたはあばたでそれもまた良しと思えるだろうか?
 
私の姉はまわりの反対を押しきって結婚したが、離婚した。 
普通の離婚じゃない。
旦那の浮気を問い詰めて旦那と喧嘩をした姉は、自分の名前を書い離婚届を脅しのつもりで家に置いて、子供を連れて実家に帰って来た。
数日経っても、全く音沙汰のない旦那に不審を募らせて、もしやと思って役所で確認すると離婚届けが受理されていた。しかも、子供の親権はあちらである。
受理された届けを翻す方法はなく、子供の親権を巡って調停事になった。
何度も不調に終わる調停に調停員も姉に子供を手放せと説得にかかる。
最終的に親権は旦那側に監護権は姉ということになった。
その子供も成人して、親権は関係なくなったが、私としても傍観者でいることはできず、当時は大変だった。
子供もこんな親の元に生まれてとんだとばっちりである。
 
周囲の反対を押しきって、ろくでもない人と結婚すると痛い目にあう例である。
 
過去の自分を張り飛ばしてでも止めたくなるかならないかはやってみないとわからないが、自分の近しい人が反対するにはそれなりの訳があると思っていいと思う。
恋愛フィルターがかかった人には煩い蠅のように思われるだろうけど。