老後も田舎で暮らす

思いついたことをつらつらと

生殺与奪の権を持つ私たち。

f:id:ichikatachibana:20211020184536j:plain

私はこの先ペットは飼わないと決めている。

今の賃貸では規約でペットを飼うことはできないが、たとえ可能であったとしてもペットを飼うつもりはない。

30代後半で手術のためにひと月ほど家を留守にした。

ひと月程度ならばペットの世話を誰かにお願いすることも可能だとおもう。

しかし、長期の入院になったり、万が一にもこの世にお別れをすることになったら、

ペットのその先に責任を持つことはできなくなる。

ペットを飼うということはペットの生殺与奪の権を持つということだ。

私はアラフィフ。愛しい、かわいい者たちを守る責任はもう持つことができない歳だ。

 

昔、テレビの番組でインコやオウムの長寿命を知らずに飼い始めたものの、そのあと飼い主よりも長生きするインコやオウムたちに、その後の行く末が問題だというような内容の番組をみた。

ペットを遺された家族もペットを飼えるような家に住んでいる保証もないし。

アレルギー持ちやペットの鳴き声にご近所とトラブルになる場合もある。

遺される人は飼い主と違って、必ずしもペットにとって理想的な環境を用意できる人とは限らない。

 

www.movie-gimmedanger.com

 

地元でも亡くなった方が飼っていた犬たちが飼い主亡き後、その家でしばらく啼き続けていたものの声がしなくなったという話があがっていた。随分後にその家が更地になる時に白骨化した犬たちの亡骸が見つかったと話を聞いた。

それこそ自分が認知症になったら、ペットの世話を焼くどころではない。

動物たちはかわいいし、もし家にいたら癒されるだろうなと思う。

でも、もしもの際の引継ぎができる確証がないならペットを飼うというのはいい選択とはいえないと思う。

自分亡き後にペットの世話をしてくれるペット信託のようなサービスがないわけではないけれど、半端な金額ではお願いできないし、たとえ信託を結んだとしても必ずしも信用できるとは限らない。

自分の元気な間だけペットと楽しく暮らしたいと思うのはエゴじゃないだろうか。

歳をとったら家庭菜園に励む人が増えるのは、きっとペットのような責任を感じず、世話をする喜びが味わえ、たとえ自分に何があっても大丈夫な安心感もあるのではないかと思う。