認知症のリアル。
叔父の介護問題に関わる事で、認知症のリアルを見た。
リアルといっても私の思うリアルだけど。
以前は漠然と認知症になっても本人にはわからない事がわからない のだから、それはそれで幸せなんじゃないだろうかと思ってた。
実際に認知症になった叔父に接してみて、 わからない事が幸せなんてありえないと思った。
途切れる記憶、人の話はまるでわからない。
記憶が引き出せることだけをとりあえず口に出してみる。
一日中、自分一人ぼっちの世界。
目の前で医師に会話での意思疎通はできませんと言われ、まるで自分が存在しない人のよう。
当然、他人の名前も顔もわからない。
初めのころは名前を呼ばれたら、自分の名前はわかっていたけど、
病気がすすんでしまったらもう自分が誰なのかもわからない。
食べ物か食べ物じゃないかもわからない。
トイレがどこかもわからない。
もよおしたところがトイレ。
そんな老後はいや。
病気だとわかっているし、認知症になってしまったらどうしようもないことはわかっているけれど、自分がそんな状態になるなんて考えるだに恐ろしい。
施設で生活できたとしても、問題行動が多ければ疎まれる。
意思疎通ができないから、良いも悪いもわからない。
自分の動きを阻む人は悪人。
暴言も暴力もだめだという理性はもはやない。
認知症になってしまったら、私のことを誰が気にかけてくれるだろう。
認知症で亡くなった、単身、子なしの叔父と同じ境遇の私。
どうしたらいいのか。
どうにもできないよね。
自分が亡くなった後はお葬式はしなくていいよと親族には伝えているけれど、
葬儀後の後始末するみたいなそんな短期間の話じゃないもんな。
介護は施設に入って終わりじゃないし。
自分で介護したわけでもなく、施設に入れていた叔父の件だけでも十分大変だった。
私のように残った親族の中で貧乏くじを引いた奴がしぶしぶ世話をするか、
義務はありませんよねと突っぱねられて行政の手にゆだねられるのか。
願わくば、最後まで頭がしっかりした状態でぽっくりと逝きたい。
取り合えず、脳のごみをしっかり毎日クリアーにするためにも睡眠は十分にとるように気を付けよう。