老後も田舎で暮らす

思いついたことをつらつらと

介護の世界を垣間見たはなし その2

叔父は認知症だった。

診断はアルツハイマー認知症ということだったが、

始めのころの話では前頭側頭型認知症というような話だった。

介護認定はグループホームにいた当初、要介護1だった。

徘徊があるので要介護認定を受けられたとの説明をうけた。

この時点では自分が誰かはわかるが、兄妹のことはまだらな認識のようだった。

わかる時もあればわからないときもある。

対話は不可能だった。

話しかけられたことの内容を把握できないのだろう、

ひとりで全く関係のない話をしていた。

ただ、このころはまだ表情があった。

ニコニコ笑って話しかけると、それに応じてニコニコするみたいな。

グループホームにいるときに施設職員への暴言、暴力、2度の脱走をしでかした。

帰宅願望がひどく、それを阻む施設職員は彼にとって敵だったのだろう。

だんだんと施設職員に見放されている感が感じられるようになっていった。

面会に行くとすぐに施設職員が駆け寄って来て、

洗面台に小水をする、そう施設職員から聞かされた。

「暴言も酷いんです」

「ここで最後の看取りまでやります、任せてください」「入院するようなことになってもお部屋代をお支払いいただければ、お部屋もキープできますし」と豪語していた当初の話と口ぶりが違ってくる。

ある日、面会に行くと真っ暗な部屋に叔父がぽつんとベッドに座っていた。

広間ではみんながおやつを食べていた。

この時点で別の施設に移そうと決心した。

 

別の高齢者施設に移して、しばらくは比較的穏やかに暮らしていた。

亡くなったときには要介護4。

かなりのスピードで症状が進んだと思う。

要介護4の認定を受けるころには、自分のこともわかってないような状態だったように思う。

手が上がらないといい、職員に食事介助をしてもらっていた。

顔には表情がなく、能面のようだった。

この能面のような表情に関しては、処方薬の影響がないとはいえないと思うが、

どうだろう。

食べ物と食べ物じゃないものの区別もつかない状態だった。

陶器の置物を食べようとしていたらしい。

歯磨きして吐き出したものを再度すくって口にいれようとしていた

話をきいたときはちょっとひいた。

ここでも施設職員への暴言や暴力もあったようだ。

夜中に一晩中、おーい、おーいと呼び続けるとか、女性職員への酷い言い方をするとか

オムツ交換の際に施設職員を蹴ろうとする話とかは職員の方から聞かされたが、

実際はもっといろいろな問題行動があったはずだと思う。

ただ、この施設ではかなり親身になって最後までお世話をしてもらった。

先のグループホームの職員にせよ、後の高齢者施設の職員にせよ、認知症の患者と

付き合うのは、やはり仕事といえど生半可なものではないと思う。